正義

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦25687月 前半 vol.161

「正義」

 

 善悪とか正邪とかの定義は難しい。それは時代によって、もしくは国や地域によって異なるからである。主語を小さくすれば、人によっても異なるだろう。同じ人間であったとしても、環境が変わればその定義も変動するのだろう。

 世間には本当の悪意はそんなに存在しないのかもしれない。そして時として、悪意よりも正義のほうが厄介な事もある。正義と正義のぶつかり合いが諍いや争いを招く。これは個人間でもそうであるが、国家同士の正義もまたしかりであろう。正義のぶつかり合いの最たるものが戦争であろう。正義を押し通す事により悲劇が生まれる。そして何時だって悲しく辛い思いをするのは弱い存在である。

 人間社会は正義に溢れている。しかしそれは独りよがりなのかもしれない。正義を押し通す事で軋轢や悲劇が生じる。SNSの誹謗中傷もそうであろう。自分の正義の基準で他人を攻撃する。人間根本の善悪とか正邪は、法律や規則とは必ずしも一致しない。法律や規則はその時々で変遷するからである。社会生活を送る上で法律や規則に従うのは当然の事である。秩序を保つ為には規則は必要であろう。法律や規則はその条項が少ない程良い。皆が、秩序を保ち善良に暮らしていれば必然と規則は少なくなる。逆であればある程規則は多くなる。規則で縛らなければ社会秩序が保てないからである。規則が増える程、社会生活は息苦しく不便なものになってゆく。自分にとって都合の良いものは正であり、都合の悪いものは悪となる。正義の押し付け合いが毎日繰り返される。全ての人にとっての正義とは果たして存在するのだろうか。


お知らせ一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

おすすめ記事

最新記事