下天のうちをくらぶれば
雑僧の雑感 仏暦2562年2月 後半 vol.8
「下天のうちをくらぶれば」
~人間(じんかん)五十年、化天(けてん)のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり~
平敦盛を討ち取った熊谷直実が、法然上人の門に入り出家して念仏者となった話は有名。冒頭は、直実が世をはかなむ一節。織田信長が好んだ事でも有名である。この一節、何だかよく意味が分からない。人間五十年とは、具体的な年齢ではなくて、人の一生涯と言う意味があるらしい。この時代の平均寿命との説もあるにはあるのだが。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
幸若舞『敦盛』より
思えばこの世は無常であるものだ。草葉に置かれた露や、水に映る月より儚いものだろう。金谷の園の花々も春の風に散り、南楼にて月見に興じる者も、変わりゆく秋の雲に被われるが如く儚いものである。人の一生など化天(下天)での時の流れと比べれば、夢幻の如くである。ひとたび生まれたのならば、滅する事がない者はありはしない。これを悟りの境地への入り口であると思い定めない事は、なんとも口惜しい限りである。(何となく訳す)
金谷は晋の官吏であり富豪であった石崇(せきそう)の別荘で、南楼は、東晋の将軍庾亮(ゆりょう)が月を詠じたといわれる名勝。
『信長公記』では下天とある
では化天や下天とは何であろうか?
化天は「けてん」と読み、下天は「げてん」と読む。この二つ、意味と言うか場所が違うのである。化天は天界の下から5番目の世界で、正式名称を楽変化天という。しかしながら、下天はよく解らない。天界の階層は28層に分けられるが、その中で一番劣った天を下天というらしい。最下層が劣っていると定義すれば、天界の最下層である四大王衆天(四天王が住む天界)のことを指すのだろう。因みに、最上階は非想非非想処天と言い別名を有頂天と呼ぶ。
化天の一昼夜、所謂24四時間は、人間世界の800年、寿命は8,000歳。四大王衆天の24時間は人間世界の50年、寿命は500歳と説かれる。であるならば、下天を四大王衆天としたほうがしっくりくるかもしれない。何せ人間界の50年は、四大王衆天の1日だから。それとも、下層部の六天を下天というのか?だとすれば、化天も下天も相違ないのだろうか。いまいちよく分からない・・・
平均寿命が50歳前後であったその昔、比べたとするならば下天の50年であろうか。ともかく、天界の下層部である化天や下天と比べれば人間の一生涯など、夢幻の如く儚いことであるぞ、と言う意味である。
因みに、宇宙にある程度行ける今日でも、天界の存在は確認されていない。当たり前である。人智の届く範囲は、例え宇宙とても娑婆世界の一部に過ぎない。六道娑婆世界の一部である天界でさえ宇宙を超越している。ましてや仏土である浄土は尚更の事であろう。
信長、桶狭間の前夜に、これを謡い舞い法螺貝を吹かせたと伝えられる。そして本能寺の変でも。
【法然上人を除く、文中の敬称は省略させて頂きました】
法然上人は流石に略せない
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