坊さんは肉を食べない?
雑僧の雑感 仏暦2563年2月 後半 vol.32
「坊さんは肉を食べない?」
坊さんは肉を食べない と思われているが 食べます
別に自慢する事では無いが、普通に食す。坊さんの堕落か?はたまた国家の陰謀か?明治五年「これから坊さんは、肉を食べてもいいし、結婚しても良い、髪の毛を伸ばしても大丈夫!」との布告が出された。
坊さんの俗化=仏教の弱体化。見事術中にはまった仏教界、その行末は… 現在ご覧の通り、出家とは名ばかりか?弱くなりすぎた。別に、私は高みからこの様相を見下ろしている訳では無い。渦の中、冷たい風が吹く…
肉食、妻帯、有髪、葬式仏教等々… が、言い訳をする訳じゃあないが、昔々から坊さんは肉食をしていた。なんと釈尊の頃からである。条件に三つ有り、その生き物が殺められる場面を見ない、その様子を聞かない、自分の為に殺められたのでは無い。これを「三種の浄肉」と言う。
釈尊最後の食事だって、キノコか豚肉かで論争があるらしい。訳文がどっちとも取れるからとの理由からなのだそうだ。折衷案として「豚肉味のキノコ」説もあった程。「殺してはならぬ」という戒めがあり、本来は食べちゃ駄目。が、布施として差し出された物はOK。拒むのは相手の布施の修行を妨げるからなのだ。そこで付けられた条件が先に挙げた「三種の浄肉」である。
…が、こんな事を書けば仏教界から叱られるかもしれぬが、随分自分勝手だなーと思う。見ない、聞かない、自分の為でない。仏教は、必ずしも世間の道徳とは一致しないのだ。
仏教=道徳
では断じて無い無理やり結びつけようとすればするほどおかしなことになる
これは別の機会にに述べる
私の為に、私に代わって手を下してくれている人がいる、料る人がいる。その人々にも、命を差し出してくれた生き物にも、感謝の念で「あなたの命を頂きます」と食す。食育の観点からは寧ろ、見る、聞く、自分の為という思いが大切なのではなかろうか?
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