楽譜は音楽に非ず
雑僧の雑感 仏暦2563年9月 前半 vol.45
「楽譜は音楽に非ず」
文庫本の解説は面白い 解説を読むのは 物語を読む前か後か
私は後派である 先入観を持たずに読みたい
因みに初めての作家の先生の場合はプロフィールにも目を通さない
それは兎も角として
「楽譜は音楽ではない」これは 荒木源先生著「オケ老人!」の解説の一文で
作家のふじたに・おさむ先生の文章
確かにその通りと思う
楽譜は音符の連記でしか無く、奏でる人の魂が込められてこそ、或いは歌う人想いが込められてこそ、音楽と言える。きちんと楽譜通りに演奏出来ても、音符通りに発声しても、魂や想いが込められなければ音楽とはならない。
そう考えれば これは何にでも当てはまるのだろう
お経や仏教書もそうだ。読んで知っているだけでは仏教の信仰とは言えない、それは知識でしかないのだ。知識と信仰もまた異なる。読んで知るのは知識である。昨今は書店でも仏教書を多く見かける。読むことは勿論大切。だが、仏教書や論文やお経の内容をただ説明するだけであるならば、それはただの解説だろう。
頭で知ると心で知るは異なる
説教もまた然りであろう。仏教の解説は説教では無い。知って理解して信じて実践する。自身の信仰の中の言葉として伝える事が説教である。だから伝わるし響くのである。
楽譜と音楽 知識と理解 知識と信仰 等々想いを込める事は大切だ
心せねばならぬ事であろう無論の事
私がそれを体得しているとは言い難く
反省と自戒の日々である
最後にそんな私の愚かさを詠んだ和歌を紹介して結びとする
~経を説く 我は案山子か アホウドリ 教えの真 知りもせぬま~
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