私だけは大丈夫
雑僧の雑感 仏暦2563年11月 前半 vol.49
「私だけは大丈夫」
私だけは大丈夫
私は死なない コロナにも罹らない
災害にも巻き込まれない。事件、事故にも遭わない。ましてや加害者や被害者になんてなる筈がない。コロナがどれだけ蔓延しようとも、所詮他人事。親族の死や、親しい人の死を目の当たりにしても、重篤な病気の話を聞いても、災害のニュースを見ても。事件、事故、世の中で起こり得る様々な事象全てが、他人事と思いながら過ごしている。そんな私ではなかろうか?
頭では知っているつもりでも心では知らぬ
知ろうとしないし 遠ざけている
思考の外に追いやっている自分がいる
無論、常に死を感じ、コロナに怯え、事故や災害、事件を恐れていては、日常生活など送れない。けれど、「自分だけは大丈夫」という思はある。その根底が覆った時の恐ろしさ、他人には起こり得ると思っているが、自分には起こらない。
でも起きてしまうのが現実
その私が死に直面した時に何を思うのか?「自分だけは大丈夫」と思っている時には宗教は要らないかもしれない。けれどそれで大丈夫だろうか?いざという時、慌てふためくのは私自身、他人ではないのだ。だからこその宗教。死の間際思う事は何?残す家族への想いや我が身や財産への執着、これから何処へ行く?どうなってしまう?そんな思いではなかろうか?世の中に起こり得る全ての事象に対処出来る宗教は無い。あったならそれは胡散臭い、だって無理な話である。でも死後の不安、これだけは取り除けるのだ。たった一つかもしれない。でも、それは大きな一つだと私は思う。
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