最低のすゝめ
雑僧の雑感 仏暦2563年11月 後半 vol.50
「最低のすゝめ」
私は世界一の坊さんらしい
世界一最低の坊主…
なんにせよ世界一とは誉れが高い
世界一と最低は言葉がかぶるか?ともあれ、最低は気が楽だ。これ以上落ちる事はないから。プライドも肩書も越し方も、両肩に乗っている様々な物に捉われず縛られず。あるがまま、出来の悪い自分でられるのだ。
出来ないのに出来るふりをしない
“ふり”をしない生き方がしたい
思えばこれまで随分と出来るふりをして生きて来た。そして良い坊さんのふりをして生きて来た。結構キツイ…。雁字搦めになってどうしようもなくなって、体も心も壊し、それでも良い坊主、出来る坊主。それを演じて来た。
でもそんな虚栄はすぐに見破られる
法然上人は愚痴の身にして念仏を称え、極楽浄土に往生させて頂くみ教えをお説き示し下さった。愚痴の身であるとの自覚を持つ。これ浄土宗の坊さんの心構えである。私もそれに倣ってきた。
でも、それさえも格好つけていたのだと、今更ながらに気が付く。これも“ふり”をしていたのだ。思ってもいないのに「愚痴の身でござい」と、なんと傲慢な事か。
出来ない自分
出来るふりはもうしない
卑下でも謙遜でも開き直りでも無い
我が心、我が行い、どれを取ってみても最低としか言いようがない。だからこれから、最低の坊主としてこれから生きて行く。その決意として我が号を変えた。
新しい号は 『低下(ていげ)』
最低の坊主と名乗る事にした
気付きとかナントカマインドとか難しい事は解らないから。最低な坊主、落ちる事無い我が身、後は登だけ。気負いもプレッシャーも何も無い。最低成なりに足掻いて、這いつくばって、泥だらけで進む。ただそれだけ。
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