何のために生きるのか
雑僧の雑感 仏暦2565年10月 前半 vol.95
「何のために生きるのか」
何のために生きるのか
誰しもが一度ならず考える事であろう
その問いの答えは出ないかもしれない
答えが出たのなら人生もっと楽になるのではないかと思う
思えば人生、この答えを求める為に送っているのかもしれない。人は何のために生きるのか?時として、生きる意味や希望を失う事があるかもしれない。それでも生きていく。それを思うと人生とはなんと辛いものであろうか。
人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し
徳川家康の遺訓の冒頭である
人は何のために生きるのか。思春期を迎えればこの問いに悩む事が多いと言われる。歳を重ねればこの問いに答えが出せるのか。生きる意味とは?生きる意義とは?そんな事は考えずに、目の前の楽しみを見つけて生きていれば幸せなのかもしれない。けれど、知らず知らずのうちに背負う荷物が重くなっていく。背負う荷物にばかり気を取られ、行く先が見えなくなる。それでも一歩ずつ歩まねばならぬ。そう、一歩ずつ。これさえわかれば生きる意味も自ずと見えてくるのかもしれない。
千里の道も一歩より起こるのである。でも、確実に前を向いて歩めるだろうか?そんなに簡単に、人生という荒波を乗り越える事が出来るだろうか?どうにもならない事が多すぎる。それでも前を向いて歩み続ける事が、果たして出来るのだろうか?何のために生きるのか。その答えを出して、しっかりと荷を背負い、人生を歩む。これが理想の生き方であろう。しかし現実は荷物に押しつぶされそうになりながら一歩ずつ歩んでいるのかもしれない。
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