スジャータ
雑僧の雑感 仏暦2565年12月 前半 vol.99
「スジャータ」
釈迦苦行像という仏像がある
痩せ衰えて 骨と皮だけになったお釈迦様のお姿である
このお像は、パキスタンのガンダーラ文明の遺産として、パキスタンのラホール中央博物館に安置されている。お釈迦様は六年にわたる苦行をしたと伝わる。時に生死を行き来するような激しい苦行であったという。
何でもそうだが、きつかったり、苦しかったりするほうが優れている、そんな風潮があるような気がする。時としてそれは結果よりも重要視されるかもしれない。簡単に成し遂げられる事よりも、苦難の末に成し遂げたほうが優れている。そう思うのは人間の心理なのだろう。
お釈迦様の苦行は熾烈を極めた。例えば断食。最初は一日一食から始め、徐々に二日に一食、一週間に一食。最後には芥子一粒などとも言われる。しかし、芥子一粒であっても、これに執着してしまう。食べたいという欲が出てくる、食べている事にかわりはないとついには何も口にしなくなったと言われる。
何故自らを痛めつけるのか?
それは、人間の魂は清らかだけれども、肉体が有るゆえに穢れある。そういう考えからなのだ。ならば肉体を痛めつければ、それだけ清らかな存在になる。これが苦行をする要因である。しかしお釈迦様は、この苦行では心理を悟る事が出来ないと、苦行を放棄し山を降りたのである。そして、スジャータという娘に供された父粥を食し、気力と体力を回復させ、苦行で痛めた体を川で清めた後、菩提樹の下に座り瞑想に入り悟りを開いた。
時に12月8日
この日を釈尊成道の日という
蛇足ながら最後に一句
山出でて 樹下瞑想を 照らしなん
臘八日の 明けの明星
住職詠む
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