祇園精舎の鐘の声
雑僧の雑感 仏暦2566年3月 前半 vol.105
「祇園精舎の鐘の声」
仏教の伝播には、インドから中国、そして日本に伝えられた北伝と、インドからスリランカ、ミャンマーやタイ、カンボジアに伝えられた南伝とがある。日本の仏教は、中国を経由しているので、当然ながら中国色が強い。梵鐘はインドにはなく、中国が起源といわれている。
お釈迦様の頃、祇園精舎という修行の場があった。精舎とは、出家者が修行をし、生活を営む寺院や僧院を指す。祇園精舎に無常堂というお堂があった。死期が迫った出家者が最後を迎える為に、心静かに過ごす場所である。今でいうホスピスである。そのお堂の四隅に、玻璃(水晶)の鐘があった。出家者が臨終を迎えると、その鐘が自然と鳴り響き、「無常偈」という経文を示し、その苦しみを和らげたという。
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
滅への捉われを滅すれば それは苦しみではなくなり楽になる
臨終は読んで字の如く、終わりに臨む時であるので、息を引き取る間際の事をいう。因みに『いろは歌』は、この経文の意を詠んだとも伝わる。「有為の奥山」は、無常の世を、何処までも続く山々に譬えたという。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
『平家物語』のあまりにも有名な一節である
梵鐘の音がゴーンと鳴り響くイメージを持っているのは私だけだろうか?しかし、当時のインドに梵鐘はなく、ベル型の鐘であっただろうことが推測される。よって水晶の鐘が静かに、透き通るような音色を奏でたのだろう。その音色と経文の説示により出家者は涅槃の境地に至ったのだろう。
この記事へのコメントはありません。