施餓鬼
雑僧の雑感 仏暦2566年8月 前半 vol.115
「施餓鬼」
お盆の前後に、「施餓鬼会」という法要を勤める寺院が多くある。この法要は文字通り、餓鬼に施しを与える法要である。故に本来はお盆とは関係がない。しかし、由来が似ているとの理由から、多くはお盆の時期に勤められる。そして、お盆の法要も、施餓鬼を勤める事が多い。
六道の一つに、餓鬼道がある。この世界は、飢えと渇きに苦しむ世界である。物惜しみや、欲の心が強い者が堕ちる世界と言われる。食べ物を口にしようとすると、たにまちに炎に変わったり、喉が針ほどの細さしかないので、食べ物を口にする事が出来ても、喉を通らなかったり。あるいは四方を海水に覆われた小島に生息し、水は豊富にあるが塩水であるために飲む事が出来ない。等など、餓鬼にも様々な種類がいるととかれる。一方、旅人の足をつたった水や、墓石にかけられた水は飲む事が出来るとも説かれる。
六道とは
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上
「施餓鬼会」では、「陀羅尼」という偈文を称え、供えられた飲食物を餓鬼が口に出来るようにする。又、塔婆に水向けと言い、シキミやミソハギで塔婆に水をかける作法をする。墓石にかけられた水と同様に、塔婆にかけられた水は餓鬼が飲む事が出来る為である。墓石に水をかける事は、勿論洗い清めるとの意もある。と同時に施餓鬼でもあるのだ。水鉢の水をシキミの葉で墓所にかける作法があるが、これも施餓鬼なのである。施餓鬼とは仏道修行の一つ、施しの行である。普段はなかなか善き行いを出来ない私達であるが、せめて亡き方に手を合わせる時には、仏道修行の一つも同時に行っているとの思いを持ちたいものである。
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