仏像鑑賞
雑僧の雑感 仏暦2567年6月 後半 vol.136
「仏像鑑賞」
仏像は当然ながら「鑑賞」すべきではなく「崇拝」の対象である。偶像崇拝等と揶揄される事もあるが、経典に説かれる真実の仏の姿を、我々は観想する事は難しい。故に仏像を造り拝礼する。
博物館の企画展や常設展示で仏像を拝する事も多くある。また、土産等で仏像のレプリカを造ったりもする。これには時として違和感を抱く事がある。不敬であるとかの理由ではない。
仏師は仏像を造立する時、何処に安置されるのか、拝礼する場所は何処か等を現地でつぶさに調査をし、その場所にあわせて仏像を造立する。寸法は勿論の事、目線や傾き具合、顔の角度等である。仏像造立は空間を作る事ともいえるだろう。
仏師とは堂宇の空間プロデューサーでもある
仏像を別の場所に安置すると違和感を覚える事があるのはその為
別に企画展示を否定している訳ではない
その場に行かなければ拝礼する事の出来ない仏像や、普段は公開していない仏像を拝する機会は貴重である。又、多くの仏像や仏画、仏具を拝する事が出来る場は貴重である。かつては出開帳も盛んに行われていた。
私も企画展には足しげく通う
本来仏像が安置されている空間と異なる空間に安置されているという事を理解した上で「鑑賞」する事が重要なのだと思う。そして違和感を楽しむ。「鑑賞」の観点からいえば、個人的には仏像は横からの姿が美しいと思う。あくまで個人的な意見であるが、横顔の美しさ、流れるような衣の彫刻、立像であれば傾き加減。堂宇では見る事ができない角度から仏像を「鑑賞」する。これは企画展の醍醐味でもあろう。楽しみ方は人それぞれである。そして「鑑賞」であったとしても、せめて合掌拝礼して仏像への敬意を表したいものである。
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