清澄白河

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦256711月 後半 vol.146

「清澄白河」

白河の 清きに魚の

すみかねて

元の濁りの 田沼恋しき

 元白河藩主松平定信は、菩提寺である深川霊巖寺の一帯を、故郷に因み白河と名付けた。現在でも白河の町名は残っている。白河町は、都営大江戸線、東京メトロ半蔵門線の新駅が誕生した事により利便性が一変した。更には近年カフェの街としても親しまれるようになる。また、江戸期より霊巖寺、浄心寺、雲光院といった大寺院が存在し、現在でも寺町となっている。新駅は隣の清澄町の名前を併せ「清澄白河」となった。因みに「清澄白河」の町名は存在しない。

 田沼意次の幕政改革は、「賄賂政治」とか「田沼時代」と称される。八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」が質素倹約を旨としていたため、その反動なのかもしれない。質素倹約は財政再建には有益なのかもしれないが、他方で締め付けがあることも否めない。腐敗政治よりもクリーンな政治が良い。文字にすれば当たり前のように思われる。しかし果たしてどうだろうか。松平定信は、田沼意次の政治を全否定して質素倹約に戻そうと躍起となる。田沼意次は商業の活性化を目指して景気上昇をはかった、結果としてそれが腐敗政治となってゆく。政治は景気が良いと腐敗するのかもしれないが、庶民にとってはどうなのだろうか。政治腐敗と不景気のセットは最悪だろうが、多少政治が腐敗していても好景気のほうが良いのかもしれない。

 水が清く澄みすぎて、すみにくい。この「すみかねて」には、住む・澄む・棲む・清む等複数の意味があるのだろう。清く正しく美しく。そんなふうに高潔に生きられたなら良いのだろう。しかしどうしようもない事もある。そしてままならない人生において、娯楽が心を癒す事もあるのだろう。


 

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