玄関

雑僧の雑感 仏暦22568年8月 前半 vol.163
「玄関」
玄妙とは、奥深く微妙な真理の事を言う。仏教の教えは不可思議で奥が深く、深遠微妙(じんのんみみょう)と言われる。経典を読誦する前に拝読する開経偈は、永い間を経てようやくに仏教に出逢えた悦びを深くかみしめる偈文である。玄は仏教では悟りを意味する。微妙には、言葉では言い尽くす事の出来ない奥深いとの意がある。玄妙は不可思議で言葉では表す事の出来ない真理、悟りの境地を表す。悟りへの入り口との意で、玄妙なる道に入る関門との言葉がある。主に禅家では山門や書院の入り口にこの言葉を掲げる。
玄には黒との意もあり、色が染まっていない白に対して玄人(くろうと)の言葉も生まれた。言うまでもないが、玄人の反対は素人(しろうと)である。玄妙なる道に入る関門の事を玄関と言う。現在では建物の入り口を指す言葉となっているが、本来は悟りへの入り口との意がある。中国の善導大師は、「我等愚痴の身、曠劫よりこのかた流転して、今、釈迦仏の、末法の遺跡(ゆいしゃく)たる、弥陀の本誓願、極楽の要門に逢えり」と示された。曠劫は過去に永い事で、永劫は未来に永い事を言う。生死流転の身でありながら、阿弥陀仏の本願、西方極楽浄土の入り口に出逢えた悦びを説き示された。仏法は八万四千の法門と言われるが、その全てが悟りへと到達する為の教えである。その入り口が玄関である。これが転じて、寺院の入り口を玄関と呼ぶようになり、やがては建物の入り口を指す言葉となって行く。微妙も仏教語であり、退屈・油断・出世・知識・方便・世間等、挙げればきりがないが、日常には仏教語が溢れている。
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