雑僧の雑感 仏暦2562年2月 前半 vol.7
「100か0か、さとりの世界」
世代論は好きじゃない。性別・血液型・職業・地域等々、一括りも好きじゃない。
特に血液型は…
私は▢型、階級の底辺、変人、憐みの対象etc
歴史に名を残す人物には▢型が多いと言うが…
1%の成功者に、99%のアホがぶら下がる的な感じ?
非ジョーに失礼な話である!
友人のT君(仮名)は「さとり世代」。繰り返すが世代論は好きじゃない。「さとり世代」とは何か?完璧主義ゆえの諦め? 諦め=悟り!? これは…、仏教の目指す境地ではないか。諦めは仏教では明らかにするという意。
諦めの世代 達観の世代 頑張らない世代 100か0かの世代
そう揶揄されるらしい。でもそうなの?みんな多かれ少なかれそういう所があるのでは?私だって、失敗は嫌だ。やるなら完璧を目指したい。失敗するならやりたくない。100か0か、白か黒か。泥にまみれて頑張るなんて恥ずかしい…
でも、人生そんな簡単に諦めて良いの?中間の人生では駄目なの?「みんなちがってみんないい」とは誰の言葉だったか?グレーゾーンに不完全、35%成功。それでも良いじゃないか!失敗したってなんだって、夢見る心は大事にしたい。
履く草鞋(わらじ)は多くても良い と私は思う
J智大卒秀才T君(仮名)。或る時は役者。或る時はコメディアン。或る時は僧侶。或る時は研究者。或る時は素面。まだ有るかな?ぜーんぶ道半ば…
100か0か。その中間を認めぬ人生はつまらない、それじゃ夢も見られない。そんなこんなで今日も自分を探し、草鞋を探す…。T君の背中を追いながら。だって夢を見たいから。
関連
お知らせ一覧
この記事へのコメントはありません。