雑僧の雑感 仏暦2562年4月 後半 vol.12
「令和の令」
令和元年の幕開けを祝し、今回も山門掲示板と同じタイトルで
但し、加筆修正有り
…っあ、次号も退位礼、即位礼があるから同じかも
そもそも、當コーナーって言うか、私は素直じゃない。ので、大概の事を少しだけ斜めに見る傾向がある。本来ならば、世間に迎合するのは好きじゃないのけど、改元だからトレンドに乗るのも良いだろう。
言い訳はこのくらいにして…
令って、どの字がホントなのか?
「ひとやね」の下に「﹅+マ」を以下「﹅+マ」と記す
令 or ﹅+マ
↑大別してこの二つ?
﹅+マはこのフォーマットのフォントに無いので悪しからず
文化庁の指針ではどっちでも良いそうだ。私の理解では、活字は「令」で、手書きは「﹅+マ」と思ってた。学校では「﹅+マ」と習ったような気がする…
ともあれ新元号が発表された。元号を持つ国であることの誇りを改めて実感する。今はああやって発表するけど、昔はどうだったの?
ご承知の如く明治以前は一元ではなかったから、結構頻繁に変わった。飢饉、疫病、災害、戦争、反乱、謀反、祟り…事ある毎にである。
法然上人の80年の御生涯中で、元号がなんと30回も変わっている。それだけ厄災が多かったのだろう。これ、一々発表してたのか?
平安っていうか、江戸期なんかは瓦版?それとも高札?いやいやそもそも発表しない?良く解らん…
人々は、2~3年で変わる元号を覚えていたのか、意識してたのか?当然、偉い人達は知ってただろう。けれど庶民はどうだろうか。多分知らなかったのでは?
ではどのようにその年を認識してたのか?西暦の概念はあったのだろうか?だとすれば干支しかないだろう。今年なら、「己亥(つちのとい・きがい)」か「亥年(いどし)」。幕末水戸の天狗党争乱は、水戸の子女からは「子年のお騒ぎ」と呼ばれていたそう。
もうすぐ令和元年の幕開け
「令」の字は、なんか6種くらいあるらしい。もっと悩ましいのが「辺」。これはもっといっぱいある。ありすぎて良く解らん。どこかの極秘資料を入手したところ、「辺」の字は十数種類存在する。ともあれ新元号が発表された。「令」の字はややこしいが、改めて漢字の幅と奥行を実感できる良き機会でもある。
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