縁
雑僧の雑感 仏暦2562年5月 前半 vol.14
「縁」
文字のフォントを変えて見ました、色々未だ模索中…
何かで昔読んだ、「結婚する人とは、前世から赤い糸で結ばれている」恥ずかしすぎる…
袖振れ合うも他生(多生とも)の縁
或る人曰く「信教の自由の現代に、檀家制度は諸悪の根源、坊主の堕落の原因である」
江戸時代の寺請制度、幕府は宗教統制を民衆に行い、必ずどこかの寺の檀家になることを義務付けた。表向きの理由は、キリシタン等の排除とされるが、実態は恐らく違う。
寺請制度≠檀家制度
宗教思想云々は建て前で、戸籍管理の方が重要だったのであろう。出生届けや住所変更届、婚姻届etc、これ全部寺の役割だった。現代の役所みたいなもん。
因みに、キリシタンを弾圧した理由は、キリスト教が邪教との理由ではない。そもそも、キリスト教は邪教ではない。
教えとは関係ない理由。つまり宣教師に扮した?スパイの排除。植民地化を避ける為。実態は分からぬ。被害妄想かもしれないし… でも、幕府が集会やらを嫌った事は事実。キリスト教に限らず、仏教でも多くの人が集まる法要を制限したりしていた。
廃仏毀釈で、徹底的に破壊したのは、幕府の役所、戸籍管理体制を潰す事が真の狙いであったのだろう。
それもこれもひっくるめ、檀家制度は悪である!
言いたい事は分かる。でも、袖が振れ合うだけでも過去世での縁がある。ならば、坊主側の理屈?って言うか、仏教の世界観からすれば、その寺の檀徒となることは、過去世での仏縁によるものだろう。
だから、たまに言われるが、浄土宗の寺に生まれたから、浄土宗の坊主になって念仏を説く、他宗に生まれれば違うのでは?そうではない。何かは知らないが、過去世に念仏の縁があったればこそ、現世で念仏の教えに出会えた。檀信徒の縁しかりである。こう考えるのが三世因果の仏教の世界観。
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