私の心と秋の空

雑僧の雑感 仏暦2562年9月 後半 vol.22
「私の心と秋の空」
兎に角コロコロ変わる物親の機嫌に子の態度、昔の元号、マニフェスト、好みのタイプ、趣味趣向、
搭乗時間、酔っぱらい、テレビで見る顔、猿の顔、猫の目、雑感、我が心、男心と秋の
行く川は流れ流れて常ならん、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず…、っと、逸れた。
測り難きは人の心。移ろいやすきは男心… ん? 女心じゃないの?
まあどっちでも良いが…、 小林一茶は詠む 「恥ずかしや 俺が心と 秋の空」 秋の空の様に、変わりやすい自分の心が恥ずかしい…。何か女心の方がしっくりくる気がするが…。だってそうでしょ! 「女心と秋の空」って言うもの。
我が心を思うに…、確かに変わりやすいような、だいたい落ち着きが無い。あれもこれも気になっちゃう。いやいや、この場合の心はそんなソワソワしたものじゃ無い筈。すると恋心か?
しっかり定まっていた物が変わる?とも違う…。世の中は常に移り変わる、川の水が常に同じでは無いようなものだろう。所謂無常というやつである。
良い事が続かないのも無常 悪い事が続かないのも無常
でも、心の場合は悪い方へと変わるのだろう。善い方には、なかなか変われぬのが人の心。それじゃあ、善い方へ心を持ってゆくにどうすれば良いの?それには、入れ替えなきゃ駄目だそうだ。
…ん? 入れ替えちゃったら、自分じゃ無くなるのでは?自分の心の在りかが分からない…
自分の心さえままならぬのに他人の心は如何ともし難い
変えるも、入れ替えるも
因に、女心が変わりやすくなったのは明治の頃かららしい…。わりと最近の話みたいだ。それより前は男心だったらしい。
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