光秀の行方
雑僧の雑感 仏暦2563年1月 後半 vol.30
「光秀のゆくえ」
私が勝手に決めた 我が国三大不死伝説
源義経→チンギスハーン 明智光秀→天海 西郷隆盛→星(順不同、敬称略)
とは言うものの、一応は時代順。時代が惜しんだ人物には不死伝説が有る。この中で、まあ頷けるのは光秀くらいかもしれない。
余談だが 私はテレビをあまり観ない
苦手だから私の情報処理能力では画面から来る情報を処理しきれないのだ
故に大好きな幕末会津の『八重の桜』も未だ観ていない
それはどうでも良いとして
三大不死伝説である。この中で頷けるのは明智光秀くらいなのか?義経は外国人に、隆盛はなんと星である。人名では無い、star。その名も西郷星。火星の中に西郷隆盛の姿が見えたとか見えないとか。
光秀の評価は近年鰻上り、お笑い芸人の影響では無い…と思う。いまや大河ドラマの主人公である。チョット前まではひどかった、逆臣の極悪人・青白い顔・几帳面・神経質・融通きかんちんetc。
徳川幕藩体制の倫理感というか、支配体制の影響が濃いと思うが。大名の無力化政策は数有れど、一番大きいのは武士道の徹底じゃないかと私は思う。朱子学は皮肉にも尊攘倒幕運動へと展開して行くのだが…
ともあれ、徳川幕藩体制の太平はこうして築かれた。時は戦国乱世、下剋上は当たり前だったはずなのに、何故か光秀だけが悪者扱いを受け続けた気がする。
それは、私が思うに徳川幕府の刷り込みの成果ではなかろうか?極悪人の嫌なやつ 主に逆らうとこうなるぞ 駄目だぞ。作戦は見事成功。でも、汚名返上か?今や人気絶頂、ファンも多い。かく言う私も嫌いじゃない。
土岐源氏明智一族の想いを胸に戦った男 織田家中最強と言われた軍団を率いた男
本能寺の変は秀吉やら家康やらの思惑が有ったとか無かったとか、不満大爆発とか、その場の勢いとか、色々と言われるが。
世を憂い、民を思い、この国の行末を思ったが故の義侠心だったのか?光秀不死は民衆の願だった。光秀→天海説には七つの根拠があると言う。明智平に桔梗紋、どれも有りそうで無さそう。さて真実や如何に?
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