この世は苦しみに満ちている
雑僧の雑感 仏暦2565年8月 前半 vol.91
「この世は苦しみに満ちている」
この世は苦しみに満ちている
どうにもならない事が多すぎる
生まれてから命終えるまで、全て順調という事は果たして有るのだろうか?なかにはそういう人もいるのかもしれない。しかし、苦しみや悲しみを抱えて生きている人も多くいることだろう。
何で私だけ不幸なのだろうか?
何で自分だけ苦しまねばならないのだろうか?
何で、何で…
そう思いながらも必死で生きている
仏教ではこの世は娑婆(しゃば)世界と説かれる。娑婆の語源は「サハ―」といい、「忍土(にんど)」との意訳語がある。「忍土」つまりは、苦しみを耐え忍ぶ場所という意味である。よく世俗的な言い回しで「娑婆に出る」とある。これは、自由が束縛されている状況に対し、その外の自由な世界を指す言葉である。耐え忍ぶ場所が、自由な世界となるのは何だか違和感を覚える。自由が束縛されている場所からみれば、耐え忍ぶ場所も自由に見えるのだろうか?仏教では、苦しみ多き娑婆世界からの解脱を説く。解脱とは「解放」とか「悟り」とか「自由」を意味する。つまり娑婆世界から抜け出すとの意味がある。世俗的には自由な場所であるのかもしれないが、仏教から見れば、この世は苦しみに満ちた世界。早く自由になりたい。そんな思いの人もいるかもしれない。仏教の教えの根幹は、この娑婆世界から抜け出す事。苦しみからの解放である。だからといって仏教に帰依すれば苦しみから解放されるのか?それは解脱を得るまで難しいかもしれない。だから耐え忍び生きていくより他は無いのだろう。
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