鳴くよウグイス平安京
雑僧の雑感 仏暦2566年4月 後半 vol.108
「鳴くよウグイス平安京」
鳴くよウグイス平安京
いちごパンツの本能寺
3月7日はサウナの日で、2月9日は肉の日
猫に小判のもじりで下戸にご飯
スルメはアタリメで、梨は有りの実等など
語呂合わせや駄洒落、言葉遊びには枚挙にいとまがない。遊び心のあらわれであると同時に、そこに縁起を担ぐ思いも重なる。お賽銭に5円を入れるのは、ご縁がありますように。これも縁起担ぎ、験担ぎの一種であろう。
験を担ぐは、自身の成功体験によるところが大きいように思われる。忌み言葉等もそうだが、悪い言葉を口にすれば悪い事が起こると信じられ、逆に良い言葉を口に出せば良い事が起こる。
言葉は言霊
声に出した言葉には霊的な力が宿ると古来より信じられている
悪い事が起こらないように、そして良い事が起きるように願う。これが心情であろう。お賽銭に5円を入れる事は多く知れ渡っているが、他にもいろいろとある。例えば20円は、二重に縁が重なる。486円は四方八方からご縁が集まる。1万円は「まんえん」だから円満等々。逆に駄目なのもある。10円は「とうえん」と読む事から、縁が遠ざかる。85円はやはり縁がない。500円に至っては、これ以上の硬貨が無いため効果がない等々。
しかし、お賽銭は祈願成就の為に神仏に奉納するもの。元は織物等の幣帛(へいはく)や、お米等の神饌(しんせん)をお供えしていた。これが貨幣となった。なので、元来金額による差違はない。縁起や験を担ぐ事は大切だし否定はしない。しかし、こだわりすぎて本来の意味を失う事もある。大切なのは気持ちであろう。
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