新徴組
雑僧の雑感 仏暦2566年5月 前半 vol.109
「新徴組」
酒井なければお江戸はたたぬ おまわりさんには泣く子も黙る
風雲急を告げる幕末。文久以降、歴史の舞台は京都へと移る。将軍上洛の為に結成された浪士組。結成の背景には様々な思惑が交錯する。清河八郎の思惑がクローズアップされがちだが、清河八郎もまた歴史のうねりに翻弄されていたのだろう。
京都に残留した芹沢鴨、近藤勇らが壬生浪士組を結成し、京都守護職会津藩お預かりとなった事はあまりにも有名。八一八の政変後に壬生浪士組は新選組の名前を賜る。新選組の事績が細部まで後世に伝わるのは、大幹部であった永倉新八が生き残った為であろう。後に『新選組顛末記』を記す。会津戦争における、白虎隊士中二番隊の悲劇もまた、生き残った飯沼貞吉や酒井峰治らによって語り継がれている。
幕末期の江戸は、参勤交代の緩和等で空き家が多くなり、治安は悪化の一途を辿る。江戸に帰還した浪士組は、清河八郎の暗殺後、新徴組と名を改め酒井庄内藩お預かりとして再組織され、江戸の治安維持の任にあたった。揃いの朱の陣笠を被り、庄内藩の紋の入った提灯を下げて江戸市中を巡回したという。新選組は独自の組織運営を行っていたが、新徴組は庄内藩の指揮下での活動だったらしい。
「〝おまわりさん〟―現在でも使われる、この警察官の俗称は、新徴組の〝廻り〟を町人たちがそう呼び習わしたのが語源とされている。」
黒崎視音先生著『緋色の華』より 抜粋
「新徴組」を書いた本書は珍しく大変興味深い
幕末史が好きな方にはお薦め
因みに、刑事の俗称である「デカ」は明治期の巡査、各袖巡査のアナグラムが語源とも言われる。これについては別に記す。薩摩閥の警察組織において、薩摩藩邸を焼き討ちにした、庄内藩、新徴組の名称が使われている事に因縁を感じるのは私だけだろうか?
カクソデジュンサ→クソデカ→デカ
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