十劫正覚

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦2566年10月 後半 vol.120

「十劫正覚」

 

浄土三部経

浄土宗の拠り所となる経典

『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』

 その浄土三部経の一つ『無量寿経』とに、「成仏より已来(このかた)、凡そ十劫を歴(へ)たり」と、説かれる。阿難尊者が、「阿弥陀様は仏と成られてからどれ程の時が経ったのでしょうか」と釈尊に質問をされた事へのお答えである。これを十劫正覚という。

正覚とは悟りを開く

つまり成仏を意味する

 劫は時間の長さをいうが、はっきりとした定義は存在しない。ある経典には40里四方の大石を、百年に一度天人が薄衣で払い、その大石が磨滅しても終わらない程の長さと譬えられる。ある経典には400里四方とも。また芥子の譬えも存在する。

 落語『寿限無』の五劫の擦り切れは、阿弥陀様が衆生救済の方法を考えられた時間の長さである。衆生救済の方法を考えられた時間が五劫。これを五劫思惟という。そして48の誓いを起こされる。これを誓願という。そして誓願成就の為に長きにわたるご修行に入られる。ご修行の時間を不可思議兆載永劫と説かれる。

不可思議(10⁶⁴)

兆(10¹²)

載(10⁴⁴)

 そして永劫。因みに未来に長い事を永劫(ようこう)、過去に長い事を曠劫(こうごう)という。阿弥陀様は、修行を完成され、誓願を成就された。これを本願という。そして、十劫という遥か昔に仏と成られ、「南無阿弥陀仏と我が名を称えよ、必ず救う」と私達に、呼びかけ続け下さっておられる。その事を今まで知らず気付かずに、輪廻を繰り返して来た私達。阿弥陀様のご本願にお出会いさせて頂いた今、極楽浄土往生を願い、南無阿弥陀仏と称えさせて頂く事が肝要であろう。


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