浄土開宗850年
雑僧の雑感 仏暦2567年1月 前半 vol.125
「浄土開宗850年」
古来、「宗」とは現在の教団を意味するのではなく、「教え」との意がったそうだ。仏教の目的は成仏、悟りを開く事である。法然上人は、9歳の時に父君を夜討ちで失う。「仇人を討つなかれ、出家して仏道を極めよ、そして我が菩提を弔え」との父君の遺言により、比叡山に登る。そして、遺言に従って仏道修行に励まれた。
智慧第一、持戒清浄と称され、当時の比叡山にあっては悟りに一番近かったのではなかろうかと思われる。その法然上人が、悟りを得る事が出来なかったのは、仇を怨む心が消えなかった為ではなかろうか。伝記では、父君を討った明石定明が改心して念仏を称え往生したとの記述がある。これを以ってして「怨親平等の聖者」と称される。怨む者も親しき者も平等に救われる。法然上人は怨み心が無くなったのか?「父の遺言忘れ難く」と述懐されている。耳底に残るとまで。怨み心は消える事は無かったのではなかろうか。
阿弥陀様の本願は、我が浄土に生まれたいと願い、「南無阿弥陀仏」と称えたなら、臨終に迎えに来て下さり、極楽浄土へ往生する事が叶えられる。罪を造ろうが、煩悩を消す事が出来なかろうが。法然上人はこの教えに出逢い、浄土の教えを開かれた。そして、頑なまでに教えを曲げなかった。たとえ怨みに思う相手であったとしても。自己のはからいを捨てて、阿弥陀様の本願に実直に従う。だからこそ、熊谷直実が帰依をし、平重衡の心に響いたのだろう。その浄土のみ教えに法然上人が出逢われたのが今から850年前。承安5年春の事である。
令和6年は浄土宗開宗850年の節目となります
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