彼岸

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦25679月 後半 vol.142

「彼岸」

 

 彼岸とは

此岸(しがん)と言われる娑婆世界に対して

川の向こう側との意である

 つまり娑婆から離れた世界であり、仏の浄土である悟りの世界を意味する。ここで言うところの川は、三途の川ではない。三途の川はこの世でもあの世でもない中間の世界である。地獄に流れる川でもなければ、娑婆と仏土の間に流れる川とも異なる。

 川も岸も比喩であり、実際には川を超えて悟りの岸へとたどり着く訳ではない。因みに三途とは、渡り方に三通りあるからとも、三途へ落ちる為とも言われる。三途とは六道の中で三悪道と言われる、地獄・餓鬼・畜生の三つの世界の事である。

 三途の川を渡り、49日に閻魔王の裁きを受けて、地獄へ行くか極楽へ行くか決まる。そんなイメージがあるが、これは正確ではない。そもそも閻魔王の裁判は35日である。地域によって35日で納骨を執り行う習慣があるのは、閻魔信仰によるものと思われる。

 彼岸は、菩薩が悟りを開く為の修行である「波羅蜜」の意訳である「至彼岸」に由来する。川は煩悩の譬えでもある。仏道修行により、煩悩を断ち切り悟りの世界へ至る。我が国における年中行事としての彼岸は、浄土教思想の影響が大きいように思われる。春秋彼岸の中日は、二十四節季の春分、秋分であり、この両日は太陽が真東から昇り真西に沈む。この夕日が沈みゆく先に極楽浄土が在ると経典に説かれる。西方極楽浄土と呼ばれる所以である。西方へと沈みゆく太陽を拝し、極楽浄土に想いを馳せる。これが彼岸の始まりとも言われる。


 

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