一心専念弥陀名号
雑僧の雑感 仏暦2567年11月 前半 vol.145
「一心専念弥陀名号」
一心専念弥陀名号
行住坐臥
不問時節久近
念念不捨捨
是名正定之業
順彼仏願故
善導大師の『観経疏』の一文である。法然上人は、悟りへ至る道をひたすらに追い求め、比叡山において智慧第一、持戒清浄と称された。おそらくは、当時の比叡山において一番悟りに近いお方だっただろうと推察される。そんな法然上人が、何故悟りを得る事が出来なかったのだろうか?法然上人は、人の心は猿が木から木へと飛び移るように散り乱れ、静まる事がないと仰せである。また、池の水のように、濁ったり澄んだりを繰り返すとも。清浄な心が起こっても、すぐに煩悩が沸き起こる。これが人の心であろう。
法然上人が9歳の時、父君漆間時国公が夜討ちにあい、法然上人の目の前で臨終を迎える。「会稽の恥を思ひて、仇人を討つ事なかれ」そして、我が菩提を弔ってくれと縋る。そしてそなたも出家し悟りを目指せと遺言する。仇を討てば今度は法然上人が仇と狙われる。「会稽の恥」の逸話の通り、怨みの連鎖を断ち切る事は容易ではないだろう。法然上人は、父の遺言忘れ難し、耳底から離れないと仰せになられる。父君を討った明石定明は後に改心して念仏往生を遂げ、その子孫達も念仏往生を遂げたと伝わる。「怨親平等の聖者」と称される所以である。しかし、怨む心を捨てられたのだろうか?法然上人が悟る事が出来なかったのは、怨み心が消えなかったからではなかろうか?嘆き悲しみ経蔵に入り、「一心専念」の御文によって、念仏は阿弥陀様の本願故に、極楽往生の業であると確信して、浄土の教えを開く。時に法然上人43歳。
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