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フラワームーン

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦2568年5月 後半 vol.158

「フラワームーン」

 

 明治元年9月22日、新政府軍への抵抗を続けていた会津藩が降伏した。降伏前に新選組の土方歳三らは、徹底抗戦の為に榎本武揚と合流する。一方で、鬼官兵衛と称された会津藩家老佐川官兵衛、山口二郎らは城外での遊撃を続ける。榎本武揚の幼名を釜次郎という。武揚の兄である榎本武興(たけとも)の幼名は鍋太郎。一説には、鍋と釜があれば食に困る事がないとの理由で名付けたといわれる。

 山口二郎は謎多き人物で、父山口右助が明石の出であった事から播州明石浪人を名乗っていた。墓所は会津若松の浄土宗阿弥陀寺にある。土方歳三とは行動を共にせず会津に残った事から、会津の関係ではないかとの説もある。阿弥陀寺には、焼け残った鶴ヶ城から移築された小天守である「御三階櫓」が現存している。山口二郎は度々改名をしていたことでも知られる。山口一・山口二郎・一瀬伝八・藤田五郎で、文久年間に刃傷沙汰を起こして京都に逃亡して新選組に身を投じた時には齋藤一と名乗る。沖田総司、永倉新八と並び剣の達人であったという。沖田総司が最年少幹部のイメージがあるが、齋藤一と藤堂平助が同い年で最年少幹部である。

会津戦争降伏前夜

山本八重は三の丸の白壁にかんざしで和歌を刻み込む

明日の夜は 誰国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月影

 この和歌は、『荒城の月』にも影響を与えたといわれる。歌詞には会津戦争の鎮魂と受け取れる部分がある。各月の満月にはそれぞれ名前が付けられており、5月の満月を「フラワームーン」と呼ぶ。洋の東西を問わず人々を魅了したその光は、戦の傷跡が残る御城を静かに照らす。


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