業界の常識

雑僧の雑感 仏暦2568年9月 後半 vol.166
「業界の常識」
世の中の業界の多くには、それぞれに常識がある。伝統や経験則や不文律だったりする。それは、他の業界から見ると違和感を覚えることも多々ある。ともすれば、業界内部でもそれを感じ取る事もあるのかもしれない。そこで変革や革新が生じるのだろう。
伝統を守る事は確かに大切である。しかし、その伝統がその業界の理念に必ずしも合致しない事もある。「成功の囚人」という言葉がある。過去の成功、大小に関わらずに、一度成功を経験すると、その成功体験に囚われてしまい、考え方や行動が固定化してしまうとの意がある。長い歴史を有する業界では、百年や二百年単位で、過去の栄華に囚われる事もあるだろう。我が業界もまたしかりである。
時代は常に変遷を繰り返す。過去の成功や常識に囚われすぎて、世の中のニーズに応えられず、業界全体の在り方を見失う事もあるだろう。もちろん変革や革新が全てではない。歴史や経験に基づいた伝統を守る事は大切であり、その業界の根幹とも言えるだろう。しかし、変えて良いもの、変えてはならないもの。この双方を見誤る事も多いだろう。変えて良いものに拘り、これが伝統だと固執する。逆に変えてはならないものを大切にせず、都合の良いように変えてゆく。そして、これぞ革新と声高らかに訴える。それは、世の中のニーズに合致しているように見えるかもしれないが、それは、その業界自体の存在意義を脅かすだろう。変えてはならない部分をしっかりと守り、変えて良い部分を柔軟に変えてゆく。言葉にすれば簡単であるが、それを見極めて物事を進める事はなかなかに難しい。
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