大きな単位
雑僧の雑感 仏暦2569年3月 前半 vol.177
「大きな単位」
『無量寿経』という経典には、阿弥陀仏が菩薩時代に、仏と成り衆生を救済する為に思惟をめぐらせた時間が五劫と説かれる。そして四十八の誓いをたてる。その十八番目の誓いが、「南無阿弥陀仏と我が名を称える者、必ず極楽浄土へ救う」とある。得意な物を十八番(おはこ)と呼ぶ所以とも言われている。その誓いを成就する為に修行した時間が不可思議兆載永劫、そして十劫の昔に修行が完成し阿弥陀仏と成った。
劫は時間の単位である。諸説あるが、四十里四方の岩山に、百年に一度、天界から天人が舞い降り、その羽衣で岩山を撫でる。それを繰り返す事により岩山が摩耗して擦り切れても尽きない時間が一劫。想像も出来ない程の長大な時間である。
江戸初期の和算家である吉田光由が記した『塵劫記』には、大小の数の単位が記載されている。大きな単位として「一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数」とある。阿弥陀仏の修行の時間である、不可思議は10⁶⁴、兆は10¹²、載は10⁴⁴であり、それに永劫が加えられる。人智では測り得ない時間軸である。
因みに未来に永い事を永劫、仏教では「ようこう」と読む。見返り弥陀で有名な永観堂の永観律師は「ようかんりっし」と言う。故に永観堂も正式な読みは「ようかんどう」ではなかろうか。読みくせは、本来の読みと異なり、読みやすく変遷してゆく事が多くある。過去に永い事を曠劫(こうごう)と言う。曠劫の昔より流転して、今、阿弥陀仏の本願に出逢えた。今生で南無阿弥陀仏と称えて極楽往生を願いたい。

この記事へのコメントはありません。