念仏は、何でも叶う魔法のおまじない?
雑僧の雑感 仏暦2562年3月 後半 vol.10
「念仏は、何でも叶う魔法のおまじない?」
念仏=チチンプイプイ?
何でも叶う魔法のおまじない?
この世を楽土にする方法、差別も紛争もない世にする方法
悲しみも、苦しみも、悩みも全て取り除く
人格向上、裕福に、地位も富も手に入れる
念仏称えれば、その全てが叶う…
?????
不遜なり、傲慢なり、冒涜なり
阿弥陀様だって、この世を楽土にしたかった筈、生きとし生ける者全てを救いたかった筈、無条件で…。でも、どーう考えても、因果の道理を壊す事は出来ない、この世を浄土にする事は出来ない。どうすれば良いのか、どうなれば良いのか?考えに考えて、気付けば5劫の時間が経っていた。
そして48願を誓い、成就する為に不可思議兆載永劫の修行を成し遂げた。
劫は果てしなく永い時間。不可思議(10⁶⁴)、兆(10¹²)、載(10⁴⁴)、永劫(とんでもなく永い)。これ程に考え、修行をしたのはなにのゆえぞ。
本当は、全部OK!問題無し!この世を楽園にする!そんな仏に成りたかった筈。でも、阿弥陀様をもってしても出来なかった、世自在王仏までの過去54仏をもってしても不可能だった。
阿弥陀様は、永い間考え抜いた末、因果の道理に逆らわず、しかも簡単に実践できて、勝れた方法を導き出したのだ。娑婆の遥か西の彼方に浄土を構え、そこに生まれたいと願い我が名を呼べば、迎えに行こうぞ、救おうぞ、極楽浄土に往生させようぞ。
その誓いを実現成就する為に、我が身を、苦しみや毒の中に置くような修行を積んだ。そして10劫の昔に誓いを成就して仏と成った。だから、
念仏→来迎→往生→成仏
我々は、阿弥陀様のこの想いを冒涜してはいないか?今一度、考える必要があるのでは?
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