思考停止は危険なり
雑僧の雑感 仏暦2563年3月 後半 vol.34
「思考停止は危険なり」
出自や地位や名誉や学歴や財産や見てくれや持ち物や
それが役に立つのは平時の時だろう
そして人の真価が問われるのは非常時
別にこれらが悪いとは思わない。全部その人の歴史であり、背景であり、歩んだ道だから。如何に大言壮語を吐いたとしても、理想を語ったとしても、行動が伴わねば非常時には役に立たぬのではないか?
コロナパンデミック 世情不安定なり
流言が飛び交い右往左往人が自ら考える事を放棄してしまったように思えるのは私だけだろうか?
思考停止は危険なり
己の肩書に頼れなくなった時、虚飾に飾られた外見を脱ぎ捨てた時、その人の誠が、真実が見えてくるだろう。SNSを始とするネット社会。別にこれを否定する訳では無い。使い方次第では、これ程有益な物は無いだろう。
・・・が、スマホやパソコン画面の中だけの世界に、果たしてどれくらい真実があるのだろうか?右へ倣への世の中、協調性と言えば頷かざるをえないし、和を乱さぬようにと言われれば、そうかもしれぬ。でも、それで良いの?自らで考える事を止めてしまったら、非常事態に困るのは自分自身。権威や大局ばかりを鵜呑みにする事は危険でなないのか?
物事を事後に批判する事は誰でも出来る。批判や反論は事前にすべきだと思う。そして、それは代替えの意見を持って言う事が筋であろう。コロナパンデミック。非常事態だと喚くばかりでは無く、何を為すべきかを見定める。それが大切。芯をしっかり持っていれば、自ずと為すべき事が見える筈。今、この機会に、自ら考える事を始めよう。対処や対応や判断に絶対は無い。ただし、芯を持っていれば、時々の対処にブレは無いだろう。思考停止にならぬよう、この困難を乗り越えたい。
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