〇活はいずこへ?
雑僧の雑感 仏暦2563年5月 後半 vol.38
「○活はいずこへ?」
そう言えば最近〇活という言葉を聞かなくなったような気がする・・・
私の〇活のイメージは ・なんでもかんでも意味を見出す ・していることを正当化する ・ぼーっとしてちゃ駄目! ・人より一歩先を行く ・損をしないで得をする ・時間は有限 無駄にせず ・行動の一つ一つに意味と理由をくっ付ける
・・・と、あまり良いイメージでは無い。って言うか、凄く緩い人間なので「〇活」と銘打って何かをする事が苦手なのだ。出来ればそっとしておいて欲しい。あまりアクセクしたくない。理由なく行動したい。そんな時代の激流に追いつけない私・・・
呆活(ぼうかつ)なる言葉もあった
???
ぼーっとする活動らしい
???
呆活は、ぼーっとする為の活動?なぜにぼーっとするのに頑張らねばならぬのか。でも、考えて見れば、頭を空にするとは中々に難しい。意識すると、あれこれ考えちゃう。すると頭の中が騒ぎ出す。鎮めようとすればする程に・・・
究極の呆活はヨガのシャバーサナ(屍のポーズ)か?究極のリラックスポーズである。仰向けに寝転がり、意識を手放し、頭を空っぽにし、大地に吸い込まれる。溶け込む?表現が難しいが、大地と一体になる。簡単なようだが、全然出来ない・・・
体を緩めようと意識すればカチコチになっちゃうし、頭を空にしようとしても、どうすれば空っぽになるのかを考えちゃう。してみれば、敢えてぼーっとする時間を作るぼーっとする為に頑張る事も必要か?簡単そうなもの程難しいのだ
・・・がコロナ禍である
始終呆活の私かもしれん
そう無理に「○活」と銘打たずとも必要な時には人間必要な行動を取るものだ
今こそ呆活の時ステイホームなり
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