天気と権力
雑僧の雑感 仏暦2563年7月 前半 vol.41
「天気と権力」
最近の天気予報はよく当たる昔祖父が良く言っていた
河豚を食したら天気予報を見ると良い
↑当たらない(失礼)
今はそんな事言う人もいないだろうが
私は雨男らしい・・・
もしそうならば凄い事である。天気を左右する力が備わっているからだ。古来の権力者は呪術を持ってその支配を絶対の物とした。人では無い力を持つ者は恐れられ、権力者として崇められたのである。
人では無い=ヒトデナシ?
呪術の力には当然ながら天気に関する事も含まれる。それは農耕に大きな影響を与えたからだ。しかし・・・、生物や人類が進化を遂げる過程は何億年かかったかは知らないが、その間、天気はずーと天気だった。これは亡き桂枝雀師匠が天気に関する噺をする時定番のの枕である。噺家としての理想を追い求め続けた枝雀師匠。その生き方に学ぶべき事は多い。
天気を人が操るなど高慢である 予報はあくまでも予報に過ぎない と師匠は言う
前もって推測して報せる事が予報、外れても文句は言えない。故に心がけ次第で天気が変わる事も無いのである。そもそも、良い天気、悪い天気自体も、自分にとっては、という言葉を付けるべきであろう。
神や仏が天気を左右すると言うのなら これも又恐ろしい事である
何故ならば、天気は常に自分にとって都合の良いばかりでは無いからだ。心がけや神仏の力と言うけれど、良いときは問題ない。悪い時はどうだろう?時として災害を起こすのもまた天気。そんな時、心がけ云々を言えようか?神仏の力であると考えられようか?良い事も、悪い事も。如何ともしがたい事は多くある、それが娑婆世界の有り様だろう。天気と同じように、自分の都合で神仏を操ろうとする事もまた戒めなければならない。思うままにならぬ人の世だから・・・。
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