コロナと仏教
雑僧の雑感 仏暦2563年12月 前半 vol.51
「コロナと仏教」
新型コロナウイルス感染症が蔓延する世の中は
仏教の視点で見ると特別な状況なのか?
仏教の視点で見るとどんな風に見えるのだろうか?
仏教ではこの世は娑婆世界と説く。娑婆世界とは、簡潔に言えば「思い通りにならない世の中」という意味。嫌な世界。辛い世界。苦しい世界。悲しい世界。穢れた世界。濁った世界。これが娑婆世界である。
厭離穢土 欣求浄土
えんりえど・ごんぐじょうど
徳川家康の旗印として有名な言葉である。一般には厭離を「おんり」と読むが、仏教では「えんり」と読む。穢れた娑婆世界を厭い離れて、極楽浄土に生まれる事を願うという意味である。この言葉は、浄土宗の総安心(そうあんじん)である。総安心とは心の置き所と言う意味である。
この世はどうにもならない世界である
であるならば、コロナウイルス感染症の蔓延は、娑婆の有り様そのままであり、仏教の視点からすれば特別な状況ではなく、ごく当たり前の様相と言えるだろう。だから、仏教ではコロナの世の中をごく当たり前と捉える。…が、頭ではそう解っていても、心で理解できるかと言えば、そうはならないのもまた事実。
頭で知って 心で知らず
坊主の身とて、コロナを娑婆の当たり前と受け止められるかと言えば、そうでは無い。狼狽えてしまう自分がいる。そこで考える、果たして怖いのは何なのか?コロナが怖い?それは確かにそう。でも、突き詰めればその先にあるかもしれない「死」が怖いのではなかろうか?特効薬が出来てコロナに罹っても大方は治癒する。そうなれば怖さは軽減されるだろう。物事の本質を見極める事は困難。それに目をそらし、現実に狼狽えてしまう私がいるのも事実。でも、一つ一つ絡まった糸をほどいたならば、見える景色も違うだろう。徒に恐れない。徒に騒がない。正しく恐れる。真実を見極める。これって重要な事だと思う。…が、それが出来れば私もこんなに右往左往しないだろう。
正直に言えば やっぱりコロナは怖い…
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