どうにかなる
雑僧の雑感 仏暦2564年3月 後半 vol.58
「どうにかなる」
人生において 百パーセントという事はそうないだろう
百パーセント満足のいく人生 全ての人に好かれる 完璧なる人格者
逆に百パーセント不満足な日常も 全ての人から嫌われる事も無いのではなかろか?
満足と不満足 完璧と欠陥 好きか嫌いか 良いか悪いか
これらの微妙なバランスを保ちつつ人は生きて行くのだろう
でも、頭の中には悪い事ばかりがインプットされる。よくよく考えればそんなに悪い事ばかりじゃあないかもしれない。悩んでくよくよする。後悔ばかり、自己嫌悪、自己否定。全部自分が悪い。それじゃあ世の中楽しく無い。悪い思考は循環する。どんどん自分自身を追い込んでしまう。気づいた時には自己の存在自身が悪である。そんな思考回路に陥ってしまう。あれもこれも全部自分のせい。
人から嫌われるのが怖い 人の目が怖い 人の噂が怖い
でもそんなものは全部幻影なのかも知れない
人が自分の事をどう思っているのかなどは解らないのである。○○そう。○○かも知れない。そんな事に捉われて右往左往していてもしょうが無い。そこからは何も始める事は出来ない。人生は一度きり。自分の人生は自分しか歩めない。ならば、思った通りに生きたい。どう生きるかは自分次第。
まあ良いか どうにかなる
この魔法の呪文さえあれば、世間の荒波を乗り越えられそう。たとえどうにもならない事があったとしても、どうにもならない事はしょうがない。「まあ良いか」と捨ててしまえば良い。人生には困難が多く有る。捨てるか捨てられないか、この差は大きいかもしれない。結局なるようにしかならないのだから。
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