ぎっちょんちょん
雑僧の雑感 仏暦2564年11月 前半 vol.73
「ぎっちょんちょん」
高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り
丸い玉子も切よで四角 物も言いよで角が立つ
オヤマカ ドッコイ
ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
パリトコパナナで フライフライフライ
「ぎっちょんちょん」は歌の合間に差し込まれる、意味のない合いの手。囃子詞(はやしことば)などとも言われる。明治期に流行した端唄『ぎっちょんちょん』。この歌を聴くと、心なしか心が軽くなる。
大正期にはアメリカ南北戦争時に作られた『ジョージア行進曲』を原曲とする『東京節』が誕生する。江戸期の『ビヤボン節』を原曲とし、「ビヤボン」が「ぎっちょんちょん」に差し替えられたのが『ぎっちょんちょん』らしい。
江戸期 『ビヤボン節』
明治期 『ぎっちょんちょん』
大正期 『東京節』
江戸、明治、大正をまたにかけた 壮大なコミックソング
丸い玉子をどう切れば四角となるのか?ここで考え込むようじゃ、この歌の神髄は理解できぬのであろう。出鱈目のラメチャンタラで、パイノパイノパイ。…ん?
パイはアップルパイなのか? チョコパイは有ったのか?
パナナはバナナのもじり? それともパナマ帽?
フライはカキフライ? それともポークカツレツ?
パリトコは「パリ講和会議」なのだそう
こうして解読してゆくのも無粋なのだろう。それもこれも、
高い山から谷底みれば
それ程大した事じゃあない
今抱えている悩みもちっぽけにみえるのだろうか?谷底で暮らす身には、とても高みから見下ろす境地にはなれないけれど、流行りに身を委ねて、深刻に物事を考えずに生きる事が出来たなら、少しは楽になれるのだろうか?ビヤボン、オヤマカ、ドッコイ、ラメチャンタラでぎっちょんちょん。
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