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煩悩を数える

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦2566年12月 後半 vol.124

「煩悩を数える」

 

 除夜の鐘は108回打つ。これは所謂百八煩悩に由来する。人の欲望ははかり知れない。欲望が叶えられた瞬間、次の欲が発生する。そして、それが叶えられれば、また次の欲望が沸き起こる。欲望に限りはないのである。

 望むものが手に入った時、人は大別して二つの心を起こすのだろうと思う。例えばお金ならば、一つには、手に入れた金額を少しでも減らしたくない。二つには、もっと増やしたい。故に煩悩は果てしない。煩悩はなにも、欲望だけではない。善悪や正邪は、自分にとって都合の良いという枕詞がつきまとうのだろうと思う。

これを仏教では「無明」と呼ぶ

無明(むみょう)

明かりがない

真っ暗闇の心

 仏教の教えはいたってシンプルである。教義はそんなに難しくはない。悟りを目指す為には、悪い行いをなさず、善き行いをする。みずからの心を清く保つ。ただそれだけである。教義は簡単だが、実践する事は難しい。無明の存在故に、常に身と口と心が穢れている。煩悩を手放せない自分がいる。今年も暮れようとしている。今年一年、煩悩に振り回されて歩んで来た、そして来年もそうだろう。除夜で煩悩を滅したい心を起こしても、又すぐに煩悩が沸き起こる。如何ともしがたい。新年を迎えるにあたって、心を清く保ちたい、出来るだけ煩悩を抑え込みたいと願い除夜を迎える。そして、来る年は良き一年である事を願う。でも、この「良き」との思いもまた煩悩なのかもしれない。

煩悩を 一つ繰りては 塵のごと

  積もり積もりて 末は百八

住職詠む

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