我が国の信仰心
雑僧の雑感 仏暦2567年7月 後半 vol.138
「我が国の信仰心」
日本人は信仰心がない
あるいは宗教心がない
無宗教とも言われる
・・・が
果たしてそうなのだろうか?
日本人には確かな信仰心が存在する
仏教国であると声を大きく言いたいところだが、そうではない。では神道か?これも失礼ながらすこし違う気がする。亡き人は、ホトケ(仏教の仏とは異なる)となり、供養を続けることにより、その霊魂は、神に昇華する。そして子孫の暮らしを近くの山頂や海中から見守り、年に二回(盆と正月)に子孫の元に帰ってくる。山や草木、大自然にも手を合わすのはこの信仰が心の奥底にあるからであろう。
これを仏教の「山川草木悉皆成仏」の思想、つまり山川草木等は仏の現れであり、仏と成る種子を有し、全てが真理と一体になり仏と成る。この思想によると考えることも出来るかもしれないが、やや無理がある。そして神道の八百万の神、山の神、海の神等とも違う気もする。
別に仏教や神道を否定している訳ではない
恐らく日本人の心の奥深くに、亡き方はホトケと成り、やがて神に昇華する。神と書いたが、正しくは神的存在だろう。そしてすぐ近くの主として高い場所から見守る。この信仰が存在するのだろう。故に山や海や川に自然と手を合わす。そして盆と正月は仏や神となり帰って来る。お盆には仏様として、そしてお正月には年神様として。その依り代の為に、お盆では竹を飾り、お正月には門松を飾る。因みに、亡き方は見守る存在であるので、子孫に害悪をもたらす事はない。よって先祖が祟ることはないのである。祖霊信仰とも言われるこの信仰は、仏教とも神道とも融合し現在に至る。
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