水長同盟
雑僧の雑感 仏暦2567年9月 前半 vol.141
「水長同盟」
水長同盟
幕末期に結ばれた水戸藩と長州藩の同盟である
丙辰丸の盟約(へいしんまるのめいやく)
又は
水長盟約
成破の盟約(じょうはのめいやく)
とも呼ばれる
世の中を混乱させ、その混乱に乗じて改革を成し遂げる。水戸藩が「破」、つまり世の中を混乱させる役割を担い、改革を成し遂げる「成」を長州藩が受け持つとの盟約である。万延元年(1860)7月、佐賀藩士草場又三の仲介により、長州藩の軍艦である丙辰丸にて結ばれた盟約である。
これ倒幕の盟約ではない
あくまでも幕政改革を目的としている
長州藩からは桂小五郎、医師であり丙辰丸艦長の松島剛蔵が、水戸藩からは松陰と号した西丸帯刀、岩間金平等が約定の場に臨んだと伝わる。西丸帯刀は野口雨情の大叔父にあたる人物である。又、島崎藤村の姪であるいさ子が孫の西丸哲三に嫁いでいる。ペリー来航から幕末維新の激動を書いた『夜明け前』に影響を与えたともいわれる。
徳川光圀による大事業『大日本史』編纂が礎となった「水戸学」は、一大思想であり西郷隆盛や吉田松陰らに影響を与えたという。その思想の中心は尊王思想であろう。
因みに尊王=倒幕といった単純な話ではない
水戸藩は逸材を多く輩出している。幕末期の水戸の三田しかり、日本史における影響は計り知れない。「水戸学」に関してはいずれの機に。水長同盟は両藩の事情で行動までには至らなかったが、坂下門外の変が起こった事はこの同盟故であろう。しかも、桜田門外の変の数か月後に結ばれた事は大いに注目すべき点であろうと思う。
この記事へのコメントはありません。