終戦80年

雑僧の雑感 仏暦2568年8月 後半 vol.164
「終戦80年」
恒久平和
世界のあらゆる地域において争いがなく、永遠に変わらず平和な状態が続く事。これは全世界共通の願いなのかもしれない。しかしながら、各地で争いが起こり、時として戦争に発展する。自国の利益の為か、それとも正義を貫く為か。その理由は様々である。世界の恒久平和を願う心と相反する心。清らかな心と残酷な心。一見矛盾しているようだが、人は二つの心を併せ持つのかもしれない。
世の人全てが清らかで正しければ、争いは当然起こらないし、世界はもっと住みよくなるのだろう。財産や命の奪い合い、文明や科学がいかに進歩しようとも、人のありようは釈尊の頃と全く変わらない。自分にとっての都合の良し悪し、それが全てではなかろうか。その基準で物事を見聞きして判断する。自分に不利益であれば攻撃を加える。個人間の諍いしかり、国家間の諍いしかりである。そして正しさは人によって異なる。その正しさを武器に争う。何時まで経っても争のない世界は実現しないのかもしれない。
人のありようは変わらないのかもしれないが、過去から学ぶ事は出来る。しかしながら、いかに学ぼうとも過ちを繰り返す。それが現実であろう。過ちを繰り返しながら世界は回る。何千年前からこの繰り返しである。時として且つての悲劇を思い、平和を願う心を新たにする。そんな日も大切だろう。終戦記念日にはそんな思いが込められているのだろう。
令和7年8月15日
終戦から80年の節目を迎えた
犠牲になられた方々に手を合わせ、改めて恒久平和の重要性を再確認する。矛盾する心を抱えながらも、そんな一日を過ごしたいものである。
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