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天下唯我独尊

アイキャッチ用雑僧雑感
雑僧の雑感 仏暦25674月 前半 vol.131

「天下唯我独尊」

 

注:この文章には、仏教学の学術的根拠は一切ありません

 釈尊が誕生後すぐに七歩歩みて、右手で天を指し、左手で地を指さし「天上天下唯我独尊」と称えたことはあまりに有名。この言葉には意訳も多くみられるが、文字通り「我独り尊し」と受け止めるべきであろう。この言葉に続き、「三界皆苦吾当安之」とあるからである。三界は欲界・色界・無色界の三つで、六道世界の地獄から天上界までを含む。この三界で苦しむ衆生を、仏と成り救うとの宣言である故に尊い存在なのだ。『長阿含経』にはこの偈は、過去七仏の第一である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生に称えたと説かれる。過去七仏は釈尊を含む七仏の事。

 仏教には正像末の三時思想というものがある。諸説あるが、釈尊入滅後五百年を正法、次の千年を像法、さらに一万年を末法という。末法一万年の後は仏教が消滅するという。

 娑婆世界と浄土世界では時間の流れが異なる。極楽浄土でいえば、娑婆世界の一劫が極楽世界の一昼夜と説かれる。この時間軸で考えれば、仏の世界から衆生救済の為に、常に仏を娑婆世界に誕生させているといえよう。けれど娑婆世界や衆生の時間軸では、とても追いつく事が出来ない。故に仏教が消滅してから次の仏が誕生するまでには長大な時間がかかる。

 表現は悪いが、浄土の世界からは常に娑婆世界へ、衆生救済の仏を送り込んでいると考える。仏が娑婆世界に誕生したなら、すぐさま次の仏候補が兜率天に待機する。その繰り返しをし続けているのではなかろうか。それは仏の世界では秒単位であると考えられる。くどいが、娑婆世界及び衆生はその時間軸に追いつけない。

 弥勒菩薩の下生は釈尊滅後、五億七千六百万年の後である。毘婆尸仏が称えたと説かれる「天上天下唯我独尊」であるが、おそらく釈尊を含む過去七仏全ての仏が称えたと考える事が妥当であろうと考える。そして次に仏教の開祖となる弥勒菩薩(弥勒仏)もまた、誕生時には天上天下と称える事だろう。


 

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