今年こそ!
雑僧の雑感 仏暦2562年12月 後半 vol.28
「今年こそ!」
今年こそ 今年こそとて 暮れにけり
誰が詠んだか知らないが 言い得て妙である
お詠みになられた方 偉そうにスミマセン
一年が早い。「お酉さま」の頃から、急に年末モードになる気がする。今年は二酉までだった。感じ方は人それぞれ。今年も何もせぬまま終わってしまう。
焦る最近物忘れが今年何かしたっけ?
私は大丈夫なのか?
やり残した事はないのか?
ダイエット宣言をして早一年。少しは痩せたのか…。って言うか、今年私は何をした?思い出せぬ。そもそも今年は休養の年、何もせぬと決めたのだ!何故ならば、昨年は「晋山式」という一世一代の大行事を行った。ので、今年は良いだろうなんて、思ったりもした。…が、雑多な私は色々してしまったような気もする…
それも忘れた…
今年こそ 今年こそとて 暮にけり
確かにその通り、ごもっとも。って、言うか、宗教者としてそのまま人生に当てはめるならば。
今生(こんじょう)こそ 今生こそとて 散りにけり(字余り)
長いようで短い一年、人生又然り。あっと言う間に、三途の川を渡り、閻魔様の前である。そして怒られるのである。「お前は何で、性懲りも無く此処へ戻ってくるんだ!」ごもっとも。折角人として生まれ、しかも、仏教の広まる世に生まれながら、なにも為さず、徒に日暮を送る。
学習能力ゼロの我ら、閻魔様もそりゃ顔が怖くなる訳だ。そもそも、人として生まれる事の難しさ、それは、世に言う確率の問題では無いけれど。それは因縁の結果なのである。因縁はいつかたっぷりと書こうと思う。いつかとお化けは出たためし無し、と言うが。ついでに、今年こそ!も出たためし無しである。ついでに閻魔裁きについても何時か書こうかなー。
今年出来ないなら 来年もも出来ないでしょ!
今生で出来ないなら 来世でも出来ないでしょ!
でも、一念発起という言葉もある。ついに出るか、今年こそが!そう思いながらも変わらぬ我が身…。
今生こそは、悟りを開こう!だが、果たせぬ我が身。ならせめて、来年の計でも考えますか?ならせめて、次の世は悟れる境涯に生まれたい。「南無阿弥陀仏」と称えて、阿弥陀様の極楽に往生したい。閻魔裁きを受けるのか、仏の迎えを仰ぐのか?今生こそは仏縁確かに生き抜いて、極楽浄土へ生まれたい。
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