二本の煙突
雑僧の雑感 仏暦2566年7月 前半 vol.113
「二本の煙突」
以前は寺の目の前が銭湯の焚口で、バックヤードが遊び場だった。当時、我が家の風呂は五右衛門風呂で、子供の頃は毎日風呂を沸かしていた。狭い道路を挟んで二本の煙突が並んでいた。
年に数回やってくる煙突掃除のおじさんは恰好良かった。銭湯の高い煙突に登る姿に憧れた。煙突掃除をした後は、煙の筋が綺麗だった。家にある不要になった可燃物や、お風呂屋さんの角材の切れ端を頂き風呂を沸かした。薪割りもした。鉈は重すぎて、最初は上手く出来なかった。風呂の焚口で、煤にまみれながら風呂を焚く時間が好きだった。
風呂釜は大小二つあった。大きいほうは浸かる為のもので、小さいものは上がり湯の為である。焚口から近い方が大きな釜で、遠いいほうが小さな釜。小さな釜の方が温度は高い。その小さな釜の湯を桶に汲んで、水で適温にして上がり湯とした。上がり湯は、風呂を出る前に体にかける清潔なお湯の事。当時はボタン一つで沸く風呂に憧れていた。そしてシャワーにも。
沸かすのは大変だし、追い焚きもしなければならない。冬の寒い日は、三度沸かさなければ冷めてしまう。五右衛門風呂といえば、下駄を履いて入るイメージがあると思うが、我が家は丸い板を沈めて入った。銭湯の焚口を見るのが好きだった。近所のおばさんが七輪で魚を焼くのを見るのが好きだった。因みに、墓参時のお線香は練炭で火を点けていた。今はガスコンロ。我が家の風呂もボタン一つで沸かせるようになっている。随分と便利な世の中になったものだ。
平成の最初くらいまでの頃の話
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