生きるのがつらい
雑僧の雑感 仏暦2562年8月25日 番外編
「生きるのがつらい」
夏休みが終わる
明日から
なんか嫌だなー 憂鬱だなー
学校 行きたくないなー
お先は真っ暗…
人はなんで生きてるの?
こんなに辛いのに…
人の一生なんて、地球レベル、いや宇宙レベルで見ればほんの一瞬。私は、人の人生の長さを、「地球の瞬き」と呼んでいる。「宇宙の塵」との表現もあるが、塵って言うのもなんだか無粋のような気がする。人生なんて一瞬だから、辛い事も、悲しい事も、苦しい事も、悔しい事も、理不尽な事も、不条理な事も、全てほんの少しの辛抱なのだと考えてみる。
でも、一瞬だろうとなんだろうと、辛い事は辛い
「生きろ」や「頑張れ」という言葉をキツク感じる事も多い。そして、ナノレベルで考えても、苦しい時は苦しいし、しんどい時はしんどい。何故生まれてきて、生きているのか?その答えは、恐らく解らないだろう。辛くなると時たま考える、人生を刹那(10⁻¹⁸)で区切れば、辛さは和らぐのか?答は否。刹那が連続すればそれだけ辛さも持続する。生きる事も辛ければ、生きる事を諦める事も辛い。だましだまし生きていくしかないのだろうか。
辛いばかりで救いが無い人生…
ならば、いっそ割り切るほうが良いのか?
死にたいくらい辛いなら
死んだ気になれば何でも出来る?
でもそんな簡単じゃない。
他人は勝手、人の選択に一々にあれこれと言う。正論をふりかざす。でも正論だけでは人は生きて行けない、正論だけじゃ生きる辛さは和らがない。
だから、自分を大事に出来るのは、結局自分しかいない。自分を認めてあげられるのは、結局自分だけ。自己満足?結構ではないか。他人の顔色を窺って生きていても、他人が私を救ってくれる訳じゃあない。どんな自分でも受け入れる、愛おしむ。これが出来るのは結局自分だけ。そんなんで良いのではなかろうか?「地球の瞬き」なのだから。
執筆者の実体験より
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