旅立ちの季節
雑僧の雑感 仏暦2564年4月 前半 vol.59
「旅立ちの季節」
旅立ちて 花舞う先に 何を見る
(住職詠む)
春は旅立ちの季節
新たな一歩を踏み出す季節
桜の舞うさまは、旅立ちの門出を祝福しているかのようである。ワクワクする反面戸惑いもある。期待と不安、そんなないまぜの心を包み込むように花は咲き誇る。尤も桜の満開も年を追うごとに早くなって行き、以前は入学式の定番だったが、いつしか卒業シーズンの花となったように思える。
いずれにせよ、桜は心を浮き立たせる。嫌な事や悪い事があったとしても、桜を愛でる一瞬は、その全てを忘れさせてくれる。桜吹雪に心が洗われる。自然には不思議な力がある。冒頭の句はそんなこんな、旅立ちの想いを詠んだもの。
「花」は春の季語で桜を指す。桜を花の代表とするようになったのは平安以降だという。平安以降桜は、和歌や詩で盛んに詠まれて来た。桜はそれだけ人の心をつかむのだろう。因みに万葉の昔は、「花」といえば梅を指していた。確かに桜のゴージャスさも良いが、日本人には梅の、少しばかり遠慮したような美しさの方が合っているのかもしれない。梅の奥ゆかしさは、見ていてホッとする。
ともあれ花の好みは人それぞれ
人生の歩みも人それぞれ 決して同じでは無いのだ
新年度、一斉にスタートラインに立ち、同じゴールに向かう。そうじゃ無い。スタート地点もゴールも、走る速さもみんな違う。それで良いのではなかろうか。ただ心の中に、定めるゴールがあったなら、その目標に向かって進めば良い。人と同じでなくて良い、自分の歩みを大切に、そんな事を思う。
最後に蛇足ながら和歌を一首。こちらは以前桜の花の散るさまを詠んだもの。
花愛でて 散りし桜の ひとひらに
明日を託する 夢ぞふくらみ
(住職詠む)
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